PFU社員が提案したプロジェクトが、独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)が実施する「2025年度 未踏ターゲット事業(リザバーコンピューティング技術を活用したソフトウェア開発分野)」に採択されました(注1)。
PFUの新規事業開発の中でリザバーコンピューティング(RC)を調査してきた冨田さんと、数学・計算科学の知見を持つ砂山さんは、「多目的最適化を用いたリザバー設計支援ソフトウェア」を開発(注2)。
この記事では、応募に至った背景から採択後の活動、ソフトウェアの特長までをご紹介します。
注2:採択プロジェクト詳細(https://www.ipa.go.jp/jinzai/mitou/target/2025_reservoir/gaiyou-tg-3.html)
未踏ターゲット事業とは
未踏ターゲット事業は、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が実施する、IT人材の育成・支援プログラムです。革新的な次世代ITによって社会を大きく変えることが期待される先進分野を対象に、基礎技術や領域横断的な技術革新に挑む人材を支援します。
設定されたテーマに沿って募集を行い、採択者はプロジェクトマネージャー(PM)や関連企業・大学などの協力を得ながら開発を推進。提案テーマの実現を目指すプロジェクト活動を通じて、技術力や実行力の向上を図ります。
リザバーコンピューティングとは
リザバーコンピューティング(Reservoir Computing)は、深層学習/ニューラルネットワークの一種で、時系列データ(時間とともに変化する波形やセンサーデータなど)の処理を得意とするAIモデルです。一般的な深層学習に比べて、学習が高速である点が特徴です。
「リザバー=貯水池」のイメージ
「リザバー(reservoir)」は「貯水池」を意味します。池に石を投げ入れると波紋が広がりますが、その波紋の様子を観察すれば、石の重さや形をある程度推測できます。
RCもこれに似た考え方で、入力信号に対して「リザバー」と呼ばれる構造が複雑な応答(波紋)を生み出し、その出力から入力信号の特徴を読み出して分類・推定します。この原理を計算に利用しているのがRCです。
なぜ高速に学習できるのか
通常のニューラルネットワークは多くの層・重みを学習しますが、RCでは「リザバー」と呼ばれる中間層をランダムに固定し、主に出力層のみを学習します。そのため、比較的少ない計算量で学習・推論ができ、低消費電力で動かしやすくなります。
どんな用途に向くか
エネルギー効率が良いことから、マイコン(マイクロコンピュータ)などの小型・低計算資源の環境でも活用しやすいのがRCの特徴です。たとえば、加速度センサーの時系列波形から、人の「停止・歩行・走行・ジャンプ」といった行動状態を分類するなど、計算力が限られた機器でもAIを利用できます。
事業開発本部 次世代事業開発室 技術開発部/リコー 経営企画本部 MI-PT 冨田 教幸さん
- 担当業務:新規事業に向けた技術開発
- 応募のきっかけ:業務でRCを調査した際に課題意識を持ち、趣味で最適化の理解も深めていたことから、IPAの未踏ターゲット事業に挑戦。
法務・知財統括部 知的財産権部 砂山 洋祐さん
- 担当業務:産業財産権(特許・意匠・商標)の調査、戦略立案、権利化
- 応募のきっかけ:入社後に働きながら大学に通い、博士号を取得。数学・計算科学の次世代IT技術への応用に関心があり、IPAの未踏ターゲット事業に挑戦。
プロジェクト発足の経緯
砂山さんが次世代事業開発室を兼務していたことをきっかけに、冨田さんと接点が生まれ、お互いの関心領域が重なったことで意気投合。今回のプロジェクトを発足しました。
低発熱AIを探す中で出会ったRC─“調整の難しさ”が出発点
――RC技術を活用したソフトウェア開発分野のプロジェクトに応募した理由を教えてください。
冨田
業務で「小型・低消費電力・低発熱のAIコンピューター」の開発に携わっており、計算負荷が低く、結果として消費電力も抑えられるAIを探していました。その過程でRCに出会い、技術調査を進めました。
調べていくうちに感じたのが、RCは深層学習のように「この手順で、この設定にすればだいたい上手くいく」といった手立てが少なく、パラメータ調整が難しいという点です。少し設定を変えただけでも特性が大きく変わることがあり、試行錯誤に時間がかかりやすい。こうした課題意識が、今回のテーマである「RCのパラメータとネットワーク構造を探索するソフトウェア」につながりました。
一方で、この課題を解くには数理的な知見やノウハウが欠かせないとも感じていました。私自身も趣味で最適化に触れてはいましたが専門ではありません。そこで、数学・計算科学の知見を持つ砂山さんなら強みを発揮できると考え、2人でプロジェクトを立ち上げて応募しました。
砂山 RCについては、プロジェクトを進めながら知識を深めていきました。ただ、大学院時代にお世話になった先生がRCに関する研究をされていたこともあり、まったく未知の分野ではありませんでした。
また、RCの理論には線形代数や統計、力学系理論などが関わります。私は大学で数学・計算科学を専攻していたので、その基礎が理解の助けになりました。
応募内容を検討する際には、「未踏」にふさわしい提案になっているか、この課題がどれだけ共感してもらえるか、といった点も意識しながらテーマを固めていきました。
――プロジェクトの体制について教えてください。
冨田
私がソフトウェアの設計・実装を中心に担当し、砂山さんがアルゴリズムの検討・リサーチを中心に担当しました。
この開発では「多目的最適化」の手法も取り入れました。最適化自体は、以前携わっていた研究開発で必要な知識だったので理解していました。ただ、これまでは単目的の最適化が中心で、多目的最適化に本格的に取り組むのは今回が初めてでした。そこで砂山さんと2人で、まずは文献調査から始めました。
多目的最適化とは
多目的最適化は、競合する複数の目的(例:コスト最小化と性能最大化)を同時に満たす最適な解(パレート解)の集合を求める手法です。単一の解ではなく、目的同士のトレードオフを踏まえた代替案の集まり(パレートフロント)を提示し、要求条件に応じて「どの解を選ぶべきか」が検討しやすくなり、設計や意思決定を支援します。
RCの調整を自動化し、精度×軽量性のトレードオフを可視化
――プロジェクトの成果物である「リザバー設計支援ソフトウェア」とは、どのようなソフトウェアでしょうか。
砂山
RCのパラメータ調整や設計探索を支援するソフトウェアです。単体でユーザーが直接使う最終製品というより、AIモデルを作り込む過程で開発者・研究者が使う補助ツールという位置づけになります。
冨田 RCの調整には、ある程度決まった進め方がある一方で、専門的な知識が必要です。そこで私たちは、調整作業をできるだけ自動化し、「精度」と「重さ」といった異なる指標で、複数の調整候補を可視化できるソフトウェアを開発しました。
また、従来の最適化は、「精度が最も高くなるモデル」のように単一指標で探索しがちで、その結果、精度は高いが重い(モデルサイズが大きい/パラメータ数が多い)といった偏った候補しか得られないことがあります。
今回のソフトウェアは多目的最適化を取り入れ、「精度」と「重さ」を2軸で扱って候補を提示します。これにより、たとえば
- 重くても高精度を選ぶ
- 多少精度を落として軽量なモデルを選ぶ
といった形で、利用条件に合わせた複数の選択肢を示せる点が特長です。
パレートフロントを示すグラフ
このグラフは、ソフトウェア画面の一部です。赤い点を結んだ線は、「精度(誤差)」と「ノードサイズ(モデルの重さ)」のトレードオフを表す解の集まり(パレートフロント)を示しています。
- 縦軸:精度(ここでは誤差)。小さいほど誤差が少なく、高精度。
- 横軸:ノードサイズ。小さいほど計算が軽く、高速。
そのため、左下に近い点ほど「高精度かつ軽量」で、より望ましい候補です。一方で、右下は「高精度だが重い(計算が遅い)」候補、左上は「軽い(計算が速い)が精度は低い」候補、と判断できます。こうしたトレードオフの可視化と、RC固有のネットワーク指標の可視化・分析を組み合わせている点が、他にはないポイントだと考えています。
――どのように開発を推進したのか教えてください。
冨田
開発の序盤は、ソフトウェアのコーディングよりも論文調査が中心でした。まずは多目的最適化に関する論文をひたすら読み、概念を理解するところから始めた形です。週1回、2人で打ち合わせを行い、「ああでもない、こうでもない」と議論しながら方向性を固めていきました。
砂山
プロジェクトマネージャー(PM)の田中先生(名古屋工業大学 大学院工学研究科 知能情報プログラム 教授)とは、月1回のペースでオンライン打ち合わせを実施し、進捗報告や、調べた内容についての相談・議論を行いました。打ち合わせは1時間枠で始めても、議論が盛り上がって延長することが多かったです。
序盤から中盤にかけては、技術の深掘りに熱中しがちだったのですが、田中PMはその議論にも付き合ってくださりつつ、俯瞰した視点でプロジェクトを導いてくれました。
冨田 田中PMには、月例の報告会で調査報告や進捗のやりとりを通じて、伴走していただきました。未踏ターゲット事業全体でも報告の場が設けられており、中間報告では対面で議論する機会もありました。
仕様の壁打ちで独自性を強化
――PMからはどのようなアドバイスを受けましたか。
冨田
開発の後半、ソフトウェアとしての完成形が見えてくるにつれて、田中PMからはUIの設計やデモの見せ方を分かりやすくする工夫について助言をいただきました。
また、「ネットワーク指標も入れてみてはどうか」「他にない要素を独自性として入れてはどうか」といった観点で相談できるようになり、打ち合わせを重ねながら仕様を磨き、完成形につなげることができました。
さらに本ソフトウェアでは、パラメータの調整候補を可視化するだけでなく、パラメータの解析機能も実装しています。たとえば、
- なぜこのパラメータ設定が良いのか
- どのパラメータが性能に影響しているのか
- RC固有のネットワーク構造はどうなっているのか
といった根拠を示せるようにした点は、独自性のある機能だと考えています。
――ソフトウェアについての反響やコメントがあれば教えてください。
砂山
使い勝手を確認するため、社内外でユーザー評価を行いました。まず課題意識や「どんな調整ニーズに応えるソフトなのか」を説明し、デモを見てもらった上で、「使えそうか」「ニーズがあるか」をインタビュー形式で確認しました。
社外のヒアリング先については、展示会などで知り合った技術者に冨田さんが声をかけ、実務でRCに取り組んでいる3者から意見をいただきました。
冨田 「公開されたら使ってみたい」「興味がある」といったポジティブな反応もありました。いただいたコメントは、田中PMとも相談しながら整理し、ソフトウェアの仕様に反映してブラッシュアップしていきました。
社内では技術紹介の一環として、全社向けのプロジェクト公開・発表の場で、2人で展示と発表を行いました。説明を通じて興味を持ってもらえた一方で、AIを使う側の一般的な感覚からは「このソフトの何がすごいのか」が伝わりにくく、理解のギャップもありました。ただ、そのギャップを埋めるために説明を重ね、理解してもらえたこと自体が良い経験になりました。
社内技術紹介での展示
挑戦を応援する風土と専門性がつながって実現
――“PFU社員だからこそ、この活動ができた”と思う点があれば教えてください。
冨田
所属している次世代事業開発室は、意思決定と行動が早く、フットワークも軽い組織だと思います。業種を問わず多くの企業と接点を作り、顧客課題を探索し、自社技術で解決して事業化につなげる——そうした取り組みを日常的に行っています。業務として新規事業の調査・探索ができる環境があったからこそ、RCを調査し、課題意識を持つところまで進められました。
また、今回のようなプロジェクトに挑戦する際に、砂山さんのような専門性を持つ人が社内にいて、一緒に取り組めたこともPFUならではだと感じています。
社内には、まだ出会えていないだけで、高い能力や独自の技術を持つ人が多くいるはずです。今後もそうした人と出会い、一緒に取り組めれば、成果につながるスピードも高まると感じました。
砂山 今回の活動は業務枠内ではなく、業務外の時間で進めましたが、上司の理解があったおかげで、知的財産権部の業務と両立しながら最後までやり切ることができました。
また、RCや最適化ライブラリの開発経験がある冨田さんがいたからこそ、社外のユーザー評価インタビューを実施できたり、本業ではないソフトウェア開発にも踏み込めたりと、この活動を現実的に推進できたと思います。
――この経験を社内や業務でどのように活用できそうでしょうか。
砂山
この活動を通じて、産学官連携をプレイヤーとして経験できました。技術そのものの活用に限らず、今後同様の連携を進める際に、バックオフィスとして知財部門の立場からも貢献できると考えています。
冨田
未踏ターゲット事業を通して得られた経験は、計算資源が限られた環境で動くAIの分野で活かせると考えています。加えて、複数の指標のバランスを設計に取り込むことで、用途や目的に応じたさまざまな設計の場面にも応用できるはずです。
また、今回のソフトウェア開発で得た経験を、今後の新規事業のソフトウェア開発にも役立てていきたいと思います。
――今後の目標や展望について教えてください。
冨田
まずは、開発したソフトウェアを公開し、多くの方に使っていただきたいです。すでにGitHubに公開用のリポジトリを用意しているので、世界中の人に活用してもらえると嬉しいですね。あわせて、学会発表も年内に行う予定です。
